プロフィール

殊能将之(しゅのう まさゆき)
 『楚辞』の一編、屈原「天問」の“殊能将 レ之”(しゅのうもてこれをひきいたる=特殊な才能でこれ“軍勢”を率いる)という言葉からとられた。

生年月日:1964年1月19日
血液型:O型
出身:福井県

 名古屋大学理学部に入学し、SF研究会に入る。
 大学中退後、某編集プロダクションに勤める(このへんについては『メフィスト』2013VOL.1で大森望さんが書かれているものを参考にしてください)。 その後会社を辞め、数年後メフィスト賞に応募、 『ハサミ男』で第13 回メフィスト賞を受賞。

2013年2月11日に死去(49歳)。


いろんなエピソード

 本名などを隠した覆面作家。自身の写真はほとんど公開されていないが、私の知っている限り2度ほど公開されている。それについては[インタビューやコラムなどのページをご覧ください。

 『ハサミ男』が出た当時は、翻訳家で書評家の大森望さんの掲示板で「これを書いた人を知っている」とちょっとした騒ぎになった。それについては当時の大森さんの示板をご覧下さい。その後、殊能将之を囲む会で大森さんはセンセーに再会しています。

 殊能センセーという呼び名は、都筑(道夫)センセーが元ネタ。はなきmercy snow official homepageでご自身のことを「殊能センセー」と表現していたことによる。

 『鏡の中は日曜日』を執筆するため、(センセー曰く)薄いフランス語の文法の本で勉強。それをきっかけに原書のポール・アルテの本を読み、あらすじや感想をホームページに載せ、読者を驚かせた。(フランス語は読める方ではなかったので…)

 原書をよく読まれる方で、特にアヴラム・デイヴィッドスンを好んでおり、奇想コレクションで『どんがらがん』を編集している。
 しかし、アヴラムやアルテ以外にも、mercy snow official homepageではいろいろな作家のデータを載せていた。(なみに私は史上最低シリーズが好きです)

 mercy snow official homepageにはopinionというページがあった。これは今考えるとTwitterに似ていて、一言コメントのようなものが書かれおり、次に更新するときには過去ログは消えるという形式だった。
 愛読していた私の印象で書いてしまいますが、風邪などで体調を崩している時ほど更新頻度は高く、1日に2、3回更新されることもあった。(元気になるさまを実況していた)

 筆まめで、感想の手紙を送った読者には年賀状を送っていたようです

 いろんな仕事の依頼を断り続けていた印象が私にはあります。
 殊能センセーになる前、編集者時代に、現映画評論家、当時宝島社の社員だった柳下毅一郎さんに原稿の依頼をされるが断り、大森さんはご自身で編集している『NOVA 書き下ろし日本SFコレクション』にSF小説を依頼したけど断られたそうです。

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